仮面ライダーディケイドのグーパン鼻血問題について

いきなり妙なタイトルですが、先日の仮面ライダーディケイドにて
主人公・門矢士(かどやつかさ)の取った行動がmixi掲示板で
賛否両論となっているので色々考えてみた。


簡単に説明すると、まずグロンギという怪人の集団たちが
ゲゲルという人殺しのゲームをやっており、婦人警官ばかりが
次々と殺されててしまう事からすべてが始まる。
ゲゲルは集団によって運営されており、実行犯のグロンギを倒しても
別のグロンギにより続行される。


士は独自の調査によって、
グロンギ達がある遺跡から一定の距離の場所で殺人を行っている事
・このゲゲルは遺跡に眠る「究極の闇」を復活させるための儀式である事
・このゲゲルのターゲットは決して血を流してはいけないというルールがある事
・ルールが破られた場合、ゲゲルは失敗となり「究極の闇」の復活は阻止される事
を突き止める。


でもって士はこの回の冒頭で知り合った女性刑事・八代をその場所へ呼び出し、
彼女をターゲットと認定したグロンギが現れたところで、彼女の顔面にパンチを
食らわし、鼻血を出させる。
これによりゲゲルは失敗となり「究極の闇」の復活は阻止された。
もう一人の主人公・小野寺ユウスケは「何がしたかったんだアンタは!」と
士を叱責するが、士自身は「よけいな犠牲を出さずにゲゲルを終わらせただけだ。
あとはこいつらを始末すれば済む」とライダーに変身し、グロンギ達を退治する。
(念のため言っておくと次回予告には鼻をおさえている士の姿が写っており、
何らかの形で”オトシマエ”をつけさせるものと思われる)


さて、ヒーローが問題解決のために人を殴って血を出させる、という絵は
かなりショッキングだったし個人的には快いものではなかった。
しかし、その行動がどこまで倫理的に責められるべきか、
自分がどのポジションに立つか、という事を考えるのは非常に面白い。


まず一番に出てくるのは
・ヒーローが、敵でもない人の顔を殴って鼻血を出させるなんてよくない
という意見だろう。だがそれに対して、
・血が流れたことによって殺人ゲームが終わったのだから、
 結果的には八代刑事を助けたことになる
という意見が出てくる。しかしさらに
・そもそも士が呼び出さなければ八代刑事はゲゲルのターゲットにならない。
 助けたと言っても、危険に晒したのも士自身だ。
という反論が返ってくるだろう。だがそこでさらに、
・八代刑事がターゲットにならなくとも、ゲゲルを止めなければ別な犠牲者が出る。
という問題がある。


「わざわざ顔を殴らなくても、別な方法が無かったのか」という意見もあるだろう。
だがそこではっきりと「血が流れた」という事をグロンギ達に見せつける必要があり、
かつ士は八代刑事と知り合いになったばかりで、全てを説明して
協力してもらえるほど信頼関係を築けていないという背景もある。
また別な方法といっても、児童向け番組で顔を殴るのと刃物で傷つけるのと
どちらが教育に良いか悪いかという問題になってしまう。


「とにかく女性の顔を殴って血を出させるなんて、絶対にいけない!」
という意見もおかしなものではないと思うが、この意見はさらに
なぜ女性の顔を殴ってはいけないのか?男性ならいいのか?
という問題に飛び火する。
おそらく世の女性の大半は男性よりも強い意識で「顔を殴られる事を嫌う」
のではないかと思うし、現実に、酔っ払って男性の顔を殴った人よりも
女性の顔を殴った人のほうがより強く非難されるだろう。
俺自身も、おそらく女性を殴った人間のほうをより強く嫌悪するだろう。
しかし、それは何故なのかと問われるとなかなか説明が難しい。
おそらくフェミニズムジェンダーといった問題に発展してくるだろうし、
単に生理的嫌悪感の問題であれば、感情論の一種にしかならない。


このように、ディケイドのグーパン鼻血問題は何が正解ともいえない
複雑な構造を持っている。
これだから自分は平成ライダーが好きなのかもしれないが。


なお、自分の立ち位置としては…
士の行動は、完全に間違っているわけではないが、正解には足りないと思う。
少なくとも、ヒーローとしての合格点には足りない。
まだ第二話ということもあって、士も今後変わっていくのかもしれない。
彼にはいずれヒーローとして誰も傷つけず、全部を守れる奴になってほしい。
それは人を超えた存在にしかできない事かも知れないが、
ただの人間でしかいられない私たちは、図々しくも、お話の中のヒーローに
そんな期待を背負わせちゃってもいいのではないかと思うのだ。

仮面ライダーディケイド FFR00 仮面ライダーディケイド